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170111:悪魔フジについてのやりとり

遡り、2017年1月11日。

きちんと朝から出勤し、夜まで仕事をした。翌日期限の作業。かなりのハイペースで。普通なら夜いっぱいかかる作業を21時前には終えた。僕は次の日の昼までに、という作業は本当に次の日の昼ギリギリまでやるのが常で、こうやって期日前に作業を終えるのはかなり珍しい。例外的な作業速度の理由は、夜中に食事をしよう、という友人との約束である。僕は人と会うのが好きだ。人と会っていると、余計なことを考えない。だから人と会う約束はとても好きだ。これを果たすためなら、ポテンシャルを最大限に引き出すことができる。

友人は緑が丘に住んでいて、夜遅く会うときは彼女の家のそばで会う。本来僕の住んでいる三軒茶屋との中間地点は、交通の便を考えれば渋谷で、渋谷で会うのが妥当だと思う。緑が丘という土地の存在自体、彼女と知り合って初めて知った。彼女は緑が丘出身で、知り合ったとき、僕が勝手に彼女から「世田谷感」を見出したせいで、てっきり緑が丘が三軒茶屋から程ない距離にあると思い込んでしまったから、知り合った後初めて二人きりで会うときに緑が丘を提案してしまい(世田谷に知らない土地がある、ということに興奮した)、以来夜遅く、無目的に会うときは緑が丘と暗黙のルールができている。ルールといっても一方的で、僕がそうしようと思うんだ。

緑が丘は落ち着いていて、聖蹟桜ケ丘に通ずる雰囲気がある。不思議なもので、彼女自身の性格とは無関係に、彼女と接すると聖蹟桜ケ丘に初めて行ったときのような落ち着きを覚える。まったく勝手な思い込みだ。彼女は緑が丘出身で、緑が丘に住んでいて、きっと聖蹟桜ケ丘とは無縁なのだから。

食事はいつも同じ居酒屋だ。彼女の行きつけで、店員の彼女に対する接し方を見ると、彼女がどれだけ良い客なのかがわかる。知りうる限り酒を飲んで人に迷惑をかけるタイプではないし、僕だって初めて会ったときから強い好意を寄せている。下心を向けたことはない。彼女は、美人で、女性としてのプレミアを多くもっているように思うけど、不思議なことに出会ったときから変な、スケベな好意を感じたことがない。きっとそういう人間が居酒屋の店員から好かれるんだと思う。

22時に待ち合わせて、僕は時間ぴったりにテーブルへついた。彼女からは「少し遅れる」と連絡が入り、僕は他人の行きつけにその人なしで入ったときの気まずさを強く感じていた。立て続けに、「今お店の外にいて、電話を切ったらすぐ入る」とメッセージが届いた。窓際の席から外を見ても彼女は見当たらない。だけど、待たせている人を眺めながら電話をするような、そんな気のまずいことをするタイプじゃないとわかっているから、何も気にならなかった。彼女のそういうところが好きだ。

20分ほどして、彼女が入ってきた。僕は気がつかないふりをした。入り口に背を向けていたので、振り返るのが少し嫌だった。彼女と会うのが本当に楽しみだったし、とてもおしゃれな彼女だから、どんな服装をしているのか、どんな表情をしているのか、とても楽しみだったけど、店員たちが恐ろしく明るい、邪気のない声で彼女に話しかけるのを聞いていると、とても振り返れなかった。

少しして、強く僕の肩を叩きながら彼女が席に着いた。こうやって会うたびに、まさに出合頭に、友人としての好意が強まっていくのをはっきりと感じる。

 

彼女との会話が心地良いのは、僕が一方的に話したいことを話し、彼女も一方的に話したいことを話し、でもそこにしっかりと交流があるのを感じるからだろう。考えてみると、僕が特に仲の良い友達は皆そうだ。話したいことがあって、相手の話を聞きたいとも思っている。

人の話しを聞きたがる人はたくさんいる。でも話すスキルに差があるとき、黙ってしまう人が多くいる。自分の話すスキルが高いとは思わないけれど、人より話したいことを持っているとは思う。だからなのか、僕と話す人は僕の話を聞こうとするけど、それに何か応えなきゃと思っていたり、話したいことを話さなかったりということが多い。それが悪いとは思わないし、そういう人も「今日良い日だった」「悪い日だった」とベッドでふにゃふにゃするんだと想像すれば愛おしく思えることもあるけど、何か想像の過程を挟まないと魅力的に感じられないなんて、疲れてしまう。

とにかく彼女はとても愉快な人だ。特徴的なのは、物事を自分なりに考えていること。自分なりにというのを意識しているのが特長。僕もそうありたい。

だから彼女は僕の話にたいして検討違いなことも言ってくるし、一方でとても深遠なアドバイスをくれることもある。こう書いていて、僕も彼女にそう思われているといいなと思った。

この日はとても深遠なアドバイスの方に当たった。そして、ある文脈の中で「XXXなことが2月に起きたら、きっとあなたのせいにする」という趣旨の話をすると、「それでもかまわない」と答えてくれたことが、心底うれしかった。それは投げやりな答えではなく、「そんなことでそんな風に思ったとして、あなたは私のことを嫌いにはならない」という確信めいた想いを感じさせるものだったから。

 

12時過ぎに店を出た。彼女の家まで送る道すがら、家に着かなければいいのになと思った。寒くて、彼女は特に寒そうで、早く家に帰りたがっていたけど、僕は少しゆっくり歩いた。

 

彼女の家の近くまで来るのは2度目で、その近所に何があったかなんて覚えていなかったし、実際少し先を歩いていた僕は彼女の家を通り過ぎそうになって引き止められた。「またね」と口をついた自分の言葉を愛おしく思った。

 

帰り道、三軒茶屋に向けて同じ道を引き返す。ぼうっと歩きながら、違和感。少し引き返し、電気屋(メーカ直の個人商店)の看板を見る。「Panasonic ルシファーフジ」と書いてある。これだ。

僕の好きなRolling Stonesの曲の中に、 "Sympathy for the Devil"という題のものがあり、その歌詞の中で「ルシファー」という名称が出てくる。うる覚えだが勘違いでなければ、これは悪魔の名前だ。悪魔・ルシファー。

落ち着きを感じさせる、緑が丘。大好きな友人の家のそばに、「悪魔フジ」という電気屋がある。この妙な面白さといったら、ない。ほんの少しばかり前に深遠なアドバイスと美しい言葉で僕の心をしっとりとさせた彼女の家のそばに、悪魔の電気屋があるんだから。

 

すぐに連絡した。「ルシファーって悪魔だよ」

すぐに返事が来た。「目の付け所がシャープかよって思った」

すかさず返す。「Panasonicだったけどな」

そして最後に「その返しを待ってた」と返信がくる。

 

この「その返しを待ってた」って、とても繊細だと思う。多分彼女じゃない別の、僕がそこまで好意を寄せていない友人と同じやりとりをして、同じ返信がきたら(そんなシチュエーションまずないと思うけど)、僕はうんざりしそうだ。だけどこのとき、僕はただ満足してにんまりした。要は、こういうことが友人関係だと思う。少なくとも僕はこういう友人関係が好きだ。

これはニュアンスの話で、これを誰かにしっかり伝えようとするのは相当骨が折れると思うのだけど、僕が好きな映画や本や音楽や、その他なんでも、こういうことをあっさりと形にしている。「話す」「伝える」という行為をあっさりと何かに置き換えて、とてもシンプルに語る。そのとき、そういうアウトプットが言語に置き換わっていること(もちろんそれが言語でも)を感じて、僕は感動する。これをやりたくて、映画を撮りたいと思っている。

 

マクドナルドに寄って、ダブルチーズバーガーセットとチキンクリスプを頼んで、持って帰った。家に着いたら5、6分でたいらげた。

 

僕は糖質制限をしている。

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