170112:スカンディナヴィアについて

2017年1月12日。

これで即時更新。前日分を丁寧に書きすぎて、先の更新が億劫になりそうなので(あなたの指摘どおりね!)手短に。

 

昼過ぎに出勤し、ダラダラと作業をしたほか、現実的な出来事としては取り立てて書くことがない。打ち合わせで初めて会った担当者が、話すときにやたらと前傾姿勢になるのを見て、「自分もこんな感じな気がする」と不安になったくらいか。

 

さて、スカンディナヴィアの話です。

帰り道、銀座線に揺られながら高等教育の世界史の「資料集」のことを考えていた。そもそも「豊臣秀吉は出世の手本」みたいなWEB記事を読んだせいで一日中歴史のことばかり思い返していたからなのだけど、そのなかでなぜか「スカンディナヴィア半島」という表記を思い出したのだ。おそらくこれが印象深かったのは、そのときの世界史教師が「スカンジナビア」と発音していたからである。

「スカンディナヴィア」と「スカンジナビア」には圧倒的な差がある。「スカンジナビア(以降・ジビ)」はどう頑張っても「スカンディナビア(以降・ディヴィ)」に勝てないような気がする。単純にジビは、話者の開き直りを感じる。「俺は日本人だから、これは日本語的に読むんだ。何もおかしくはないだろう!」。放棄だ。それは一見意思のようで、甘えである。一方でディヴィには表現力を感じる。いや、むしろそんなきらびやかなものではなく、泥臭い努力を感じる。ディはまだいいとして、「ヴィ」なんてもういろいろと圧し殺さないと真顔では言えない。そもそもジビという選択肢があるのにディヴィを選択すること自体、人界から越境している気がする。

結論、僕はディヴィ派である。

 

ここまで考えたあたりで表参道につき、半蔵門線に乗り換えて窓際に立ち、向こう側の真っ暗な窓に映った自分の顔を見たとき、「ジビ派っぽい」と感じた。

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